ケータイ辞書JLogosロゴ 横住村(近世)


新潟県>浦川原村

 江戸期〜明治22年の村名。頸城郡のうち。はじめ高田藩領,天和元年からは幕府領。村高は,「慶長国絵図」では上横住村42石余・下横住村25石余,「正保国絵図」48石余,「天和高帳」139石余・新田22石余,「天保郷帳」199石余。天和検地では,反別田6町余・畑16町余・山林42町余。享保7年からの質地騒動に参加した当村の吉左衛門は獄門,市之丞は遠島,六蔵は田地取上・所払の刑を受けた。安永9年の新田検地で新たに25石余が打ち出された。神社は中島に菱神社,土橋に諏訪神社がある。寺院は諏訪に真宗大谷派友岸寺。ほかに観音堂がある。明治5年宮内民蔵が村内で塾を開いており,200人の門人があったという。同7年和田小学校付属横住校(のちの月影小学校)が開校,和田民蔵が句読師となった。同12年からは東頸城郡に所属。同21年の戸数88・人口591。同22年月影村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7316380
最終更新日:2009-03-01




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