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- 吉田保(中世)とは
「吉田保(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 吉田保(中世) 室町期から見える保名因幡【いなば】国巨濃【この】郡岩井荘のうち康正2年造内裏段銭并国役引付(群書28)に「弐貫文……因幡国吉田保〈日野郷段銭〉」と見えるのが初見この記載は巨濃郡日野郷の負担すべき造内裏段銭2貫文を吉田保が代わって納入したことを示している延徳3年5月の北野社所領注文(北野社家日記)に「因幡国岩井庄吉田保内竹見・小羽尾両村」とあり,保内の竹見・小羽尾両村が京都北野神社領であったことが知られる同年5月6日室町幕府奉行人連署奉書案(同前)によると,「北野宮寺領因幡国岩井庄吉田保内竹見・小羽尾両村事,近年押領之間,神事以下退転,太不可然,所詮沙汰付社家雑掌,被全所務,可被遂神事,更不可有難渋」とあって,北野神社による両村支配は大きな困難に直面していた寛正6年12月の北野社松梅院不知行分御判注文(北野神社引付3)には「松梅院不知行所」の1つとして「吉田保竹見小羽尾両村」が見える北野神社の1祠官松梅院の掌握していた支配権が在地勢力の押領によって否定されつつあったことがわかる吉田保は北流して日本海に注ぐ吉田川の流域にあった所領で,「因幡志」が竹見村を現在の岩美町相谷周辺にあてていることと考え合わせると,吉田川流域の平野部から日本海沿岸までを含むかなり広い領域を占めていたことが推定される |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 吉田保(中世) 室町期に見える保名丹後国丹波郡のうち長禄元年11月8日の円通寺領重書現存目録并住持等連署紛失状に「丹後国……吉田保」とあり,円通寺領であった(三聖寺文書)また「丹後国田数帳」には「一,吉田保 七町四段百卅九歩 倉橋弾正」とある比定地未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」