ケータイ辞書JLogosロゴ 吉谷村(中世)


新潟県>小千谷市

 室町期〜戦国期に見える村名。越後国魚沼郡のうち。永享9年11月15日西片光行が寄進した鰐口銘に,「奉懸鰐口越後国魚治(沼)郡吉谷村」と陰刻されている(魚沼神社文書)。光行は翌10年7月19日にも鰐口を寄進しており,その銘には「越後国魚沼郡内吉谷村」と見える(宇都宮神社資料)。文明3年12月27日の上杉家(房定)老臣奉書によれば,当村のうち土川名・山崎名・番匠免名の3か所が,戦功を挙げた毛利重広に与えられた(反町毛利安田文書)。また,文明5年12月18日の雲照寺妙瑚証状によると「魚沼郡吉谷村十八社之内,宇津宮・日光・諏方田,於彼三ケ所者,毎々無諸役之由致披露候間」として上弥彦社末社3か所の諸役免除が「やふ川惣大宮司」になされている(魚沼神社文書)。永正〜享禄年間の12月16日には上杉氏の重臣大熊政秀からも「魚沼郡吉谷十八社之内,宇都宮・日光・諏方田,於彼三ケ所役等停止之由」と免除されている(同前)。中世の当村域について,近代の「古社寺取調書」に,古くは上弥彦社の社領すべてを吉谷村と称したが,その後土川・小千谷・時水・藪川・吉谷・四ツ子・谷内の7か村に分かれ,同地域には18末社が分布すると記している(新潟県庁所蔵/小千谷市史上)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7316533
最終更新日:2009-03-01




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