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- 四日市(中世)とは
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四日市(中世) 戦国期に見える地名安芸国賀茂郡のうち山陽道ぞいの市町として発展西条東村の一部にまで及ぶ天文13年6月29日の西光寺銅鐘陰刻銘に「賀茂郡西条四日市真光寺什宝現住壬智代」と見える真光寺は後西条東村へ移っている「中書家久公御上京日記」の天正3年3月27日条には「さいちやうの四日市」と見える「九州御動座日記」の同15年3月15日条に「安芸四日市迄 八里」とあり,豊臣秀吉が九州攻撃の際に当地に宿している「楠長譜下向記」の同日条にも「十五日,安芸四日市市場御留」とある江戸期には四日市次郎丸村とされるが,中世には次郎丸のうちであったと思われ,次郎丸は天文23年6月21日の毛利元就・隆元連署状に「寺町之内助実方・次郎丸方」と見え,したがって四日市も寺町のうちとみてよい(平賀家文書) |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」