ケータイ辞書JLogosロゴ 寄居白山新田村(近世)


新潟県>新潟市

江戸期〜明治16年の村名蒲原郡のうち寄居村・寄居白山外新田とも称した新潟浜村の枝郷ともあるが,古くから一村として取り扱われてきた信濃川下流左岸はじめ長岡藩領,弘化2年からは幕府領村高は,「元禄郷帳」に新潟浜村枝郷として297石余,「天保郷帳」でも新潟浜村枝郷として550石余古く信濃川河中にできた数多くの小島が,天正年間以前には寄居島・白山島となり,当村民が耕作に従事していたやがて元和年間には白山島に島村新潟が建設されたその後寄居島は明暦年間のいわゆる明暦の町割によって,「古新潟跡」「寺裏古川跡」,神明町の一部地域など,寺町通以前の砂丘地と信濃川旧河道跡の低湿地へと居所を交換させられ村替となった宝暦8年の史料に,「当村の儀,古来高九百石余の地方御座候処,先年新潟町不残砂入に相成り,明暦元未年当新潟町屋敷に御取揚遊ばされ,代地として古川跡を被下置,漸く高三百八十石開発罷在候」と記されているという(新潟市史上)延宝7年検地帳(同前)によれば,本途高185石余・善四郎新田高55石余・寺町通新田高45石余とある本途は村替後数年に開発されたところだが土地卑湿で風砂の害が多く良い土地ではなかった善四郎新田は本途地に隣接して砂山との峡間に開発され,中には享保20年頃に至ってようやく貢租を納めるほどの土地であったという寺町通新田は寺町23か寺のうち長照寺・往生院敷地全部および他寺の伽藍・庫裏・門前道敷は新潟町所属で,他の附属地は当村分であった同新田の南端に横町蔵屋敷があり,良田で本途に含まれていたが,天和2年新潟蔵屋敷・町屋敷となり,年々地子米を取り立てたというその代地として往生院地内・不動院預り権現屋敷地内を与えられているさらに貞享元年町蔵屋敷が拡張され,当村の一部が江堀用地となり新潟町へ与えられた享保16年阿賀野川の流路の変更により,信濃川下流に上島下島などができ,宝暦8年両島に田3町余・畑2町余が貸与されている享保5年村絵図(同前)には法音寺・瑞光寺の西に家数10軒と見えるが,砂害によって元文・寛保年間には南山の地に移ったというさらに明和・安永年間に現在の地に移ったという天保14年新潟町は上知となり幕府の支配するところとなるが,当村と新潟町との境界は判然とせず,また飛地などが散在していたため,長岡藩は幕府に村替を願い出,弘化2年当村は新潟奉行支配下となり,寄居白山外新田と改称した明治12年新潟区に所属地内から明治初年旭町通1〜2番町,明治12年学校裏町・南横堀町・中横堀町・北横堀町・寺裏南町・寺裏中町・寺裏北町・横朝日町・裏浜町・寺裏通1〜2番町・東中通1〜2番町・下旭町・営所通1〜2番町・西中通1〜3番町・南大畑町・北大畑町・西大畑町・中大畑町・田中町・東大畑町・南浜通1〜2番町・北浜通1〜2番町などが起立同16年寄居町と改称
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7316652
最終更新日:2009-03-01




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