ケータイ辞書JLogosロゴ 流作場新田(近世)


新潟県>新潟市

 江戸期〜明治22年の新田名。蒲原郡のうち。玄的新田・附寄島新田・流作新田とも称した。はじめ長岡藩領,弘化2年からは幕府領。村高は,「天保郷帳」流作新田として808石余。延享3年藩が近江屋曽平・安倍玄的など5人に信濃川河口にあった附寄島(向島)の開発を命じた。この時の新潟町と長岡藩との定書には流作場新田とあるが,寛延3年219町余の検地を受け附寄島新田と称した。弘化2年幕府新潟奉行川村清兵衛の検地により「新潟浜村ノ内流作場新田」と改めたという。しかし,開発者玄的の功績が大きく玄的と通称される。水損流作田のため永検見であったという(新潟市史上・皇国地誌)。庄屋は安倍家。鎮守は神明社(明治初年三社神社と改称),延享3年安倍玄的が恙虫撃退祈願のため弁天堂を建立(明治12年日蓮宗本立寺と改称)。「皇国地誌」によれば,戸数57・人口301。生産物としては農産品,魚類など。明治12年中蒲原郡に所属。同22年沼垂【ぬつたり】町の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7316673
最終更新日:2009-03-01




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