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![]() | 新山村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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![]() | 新山村(近世) 江戸期~明治15年の村名安芸国安芸郡(もと安南郡)のうち太田川の東岸に位置する南は牛田村「芸藩通志」は「延喜式」所載荒山の字訓の誤りかとする広島藩領蔵入地村高は,元和5年「知行帳」91石余,「芸藩通志」89石余,「天保郷帳」91石余,「旧高旧領」89石余「芸藩通志」によれば,東西12町・南北10町,戸数35・人数187,牛11,舟3また日通寺は寺領200石,「藩五箇寺」のうちもと浅野家の山荘日新館であり,寛文年間藩主綱晟の遺体をここに葬り,国前寺より番僧を置いたしかし不受不施派禁圧策により同寺は寺領を没収され,元禄5年賀茂郡国近村より天台宗阿弥陀寺をここに移して菩提寺とし,綱晟の法諡をもって寺号としたのち法華宗に改宗真言宗不動院は天平2年行基の開基と伝え,のち暦応年間足利尊氏が国ごとに置いた安国寺となる慶長6年福島正則が尾張不動院の僧宥珍を入寺させ,現寺号に改称金堂(国宝),山門・鐘楼・銅製梵鐘(国重文)が残る神社には自在坂神社明治4年広島県に所属同15年牛田村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 新山村(近世) 江戸期~明治8年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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![]() | 新山村(近世) 江戸期の村名出羽国由利【ゆり】郡のうち子吉【こよし】川西側の氾濫原,いわゆる子吉田圃の一画に位置するもと子吉郷に属し,本荘市藤崎地区の新山沢地域か慶長7年~元和8年最上氏領(楯岡豊前守代官支配),同8年本多正純領,同9年から本荘藩領「由利郡中慶長年中比見出検地帳」に子吉郷新山村とあるのみ... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」