ケータイ辞書JLogosロゴ 五十辺村(近世)


富山県>高岡市

 江戸期〜明治22年の村名。礪波【となみ】郡国吉郷のうち。加賀藩領。寛文10年の村御印の村高121石・免6.8,小物成は山役42匁(高物成帳写)。副業は養蚕・菅笠縫い。村内の路傍には塩に白い砂をまぜて売った悪商人が天罰を受けて変わったといわれる塩売石が立つ(国吉小史)。白山谷の竜が池は往古から大蛇が住むといわれ,また竜女が手洗野信光寺の住職に血脈を乞い,その礼に梅実を与え,清泉の場所を教えて立ち去ったという竜梅水の伝説で知られている。鎮守は白山社。元和5年の役家8軒(利波郡家高ノ新帳)。嘉永6年の戸数13・人口54(国吉小史)。明治5年の戸数14。同9年石川県,同16年富山県に所属。同22年礪波郡国吉村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7317105
最終更新日:2009-03-01




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