ケータイ辞書JLogosロゴ 石仏村(近世)


富山県>上市町

 江戸期〜明治22年の村名。新川【にいかわ】郡加積【かづみ】郷のうち。加賀藩領。村高は寛文10年の村御印では371石・免3.5,小物成は山役・鮭役・鱒役・鮎川役,明和5年391石,天明5年には413石であった(新川郡村々高免家数改帳/奥野文書)。用水は下条【げじよう】用水より取水していた。明和5年の家数3(同前)。安政6年頃には,合薬商売が1軒あった(新川郡諸商売取調理書上申帳/杉木文書)。十村組は明和5年頃には北野村新丞先組裁許沼保村次郎左衛門組に属し,天保10年頃には西加積組に属した。享保18年頃の村役人として,肝煎を平右衛門がつとめた(新川郡村廻帳/川合文書)。「新川郡役家調」によれば,改作以前より慶応3年まで,七郎兵衛・加十郎・平七郎・平兵衛・七三郎・新三郎・七三衛門が,十村や山廻り・新田裁許をつとめた(越中の十村)。寺社に真宗西派正光寺と神明社(祭神は天照皇大神)・八坂社(祭神は須佐之男神)・水神社(祭神は罔象女【みずはのめ】命)があった。昔は天台宗・浄土宗を合わせて24か寺であったが,文安年間の大飢饉の際に退転して,地蔵坊だけが残った。その後長享2年の蓮如上人北国下向に地蔵坊上人が帰依し,改宗したのが正光寺の始まりであると伝えられる。水神社は嘉永年中に下条用水守護神として創立されたものである。明治2年のばんどり騒動では,10月25日夜に当時は新田裁許だった七左衛門宅が襲われて家が取りこわされ,同29日夕方に土蔵2つが取りこわされた(県史近代上)。明治5年の戸数18(新川県区分表/内山文書)。同9年石川県,同16年富山県に所属。翌17年には中青出村ほか22か村戸長役場に属した。明治22年上新川郡宮川村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7317208
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ