ケータイ辞書JLogosロゴ 小原村(近世)


富山県>上平村

 江戸期〜明治22年の村名。礪波郡五箇山上梨谷のうち。加賀藩領。十村組は赤尾組に属す。元和5年の検地による村高は86石余(川合文書)。寛永7年定納免4.99,塩硝役があり金納制。明暦2年より小物成の蝋漆蓑紙役を含み定納金子は2枚1両余,銀子に換算すると1貫余(加越能文庫)。戸数は寛文年間20・天保10年28。塩硝・中折紙を生産して藩の買上げと城端【じようはな】町判方商人へ売った代金を年貢代銀とする。産物は庄川の籠の渡を渡り,小瀬峠を越えて運ばれ,村民は山地農耕のほか換金産物の生産と運搬に労力をかけた。米は城端町判方商家より買い,産物と差引き勘定される判方制度である。江戸期には加賀藩の流刑配所村となり,女の流刑人が送られた。なかでも輪島のお小夜の話が有名。明治5年の戸数27・人口225,田1反歩・畑13町歩・山林104町歩(明治初年の礪波)。明治9年石川県,同16年富山県に所属。明治22年礪波郡上平【かみたいら】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7317936
最終更新日:2009-03-01




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