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川津村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
川津村(近世) 江戸期の村名杵島【きしま】郡のうち杵島山東麓に位置する佐賀本藩領須古郷に属す「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」ともに1村として見える近世初頭竜造寺信周が須古城に居を構えて以来,須古鍋島氏の知行地となる「大小配分石高帳」では鍋島安房が地米高300石余を知行「慶長国絵図」を見ると,当村付近から廻里江川が流出し,船の出入りがあり,地名もこれにちなむと考えられる鎮守は厳島神社水利は厳島神社の縫【ぬい】池の水と嘉瀬川溜池を利用した南部の辺田から当村を経て,水堂【みつどう】および新町に通じる道が主要道であった当村で産する「須古ござ」は,竜造寺信周が文禄の役で朝鮮に出兵した際,持ち帰った藺草【いぐさ】を当村と湯崎村に移植し,ござを織らせたのが始まりといわれる「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ともに湯崎村の枝村に見える「明治11年戸口帳」によれば,湯崎村のうちに「川津村」と見え,戸数58・人口341... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
川津村(近世) 江戸期の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」