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- 西浜(中世)とは
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西浜(中世) 室町期から見える地名越後国頸城【くびき】郡のうち現在の糸魚川市と西頸城郡および上越市の西部を指すこの一帯は越後国衙領沼川保に属したが,戦国期に至って沼川に替わって西浜の名称が定着した宝徳3年と推定される8月13日付飯沼頼泰書状に「西浜口事ハ仁科許容候間,重而乱入ある事も候へく候」,あるいは享徳3年かと推定される5月20日付正教保運書状に「一,西浜口牢人共出候ハんするよし承及候」,とあるのが早い用例であるとみられ(反町黒川文書),会津方面への津川口や信濃方面への高梨口とともに北陸道に沿う越後府中から越中方面への交通の要路として西浜口ともいい,軍事的にも重視されたことがうかがわれよう永正6年,上杉顕定のため越後を追われ,越中に逃れた越後守護上杉定実・長尾為景は,阿賀北の築地氏に助力を求めた同年10月6日付書状で「来年越中・能登・飛騨・信濃相談,西浜口・高梨口事可成調義候」と,当地域から反攻に出るべきことを述べているし(築地文書),弘治2年8月,大熊朝秀が長尾景虎に反して越中に走った際には景虎は諸将を「西浜口」に派遣してこれを迎え討たせた(歴代古案/越佐史料)また,天正9年6月には織田方の軍勢と対峙する越中松倉城から無断で退却する者のないように上杉景勝が「始境西はま」に人員を配備して交通を遮断したという(反町雑文書)同11年,景勝は糸魚川に新城を築いたが,これは一名を「西浜新地」とも称された(岩井文書/越佐史料) |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
西浜(中世) 室町期~戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
西浜(中世) 南北朝期から見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」