前方一致 全文(カスタム検索)
Guest Guest
  1. JLogos検索辞書>
  2. 下村(近世)とは

「下村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

下村(近世)


 江戸期~明治22年の村名...

全文を表示する


[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7319395]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

◆関連辞書(JLogos内)


  1. amazon商品リンク
下村(近世)

 江戸期~明治22年の村名

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

下村(近世)
江戸期~明治13年の村名玉名郡のうち友田川中流左岸の洪積台地上に位置する熊本藩領なお,天正15年と推定される年未詳5月25日付の浅野長吉書状写(小代文書/県史料中世4)に「御朱印并大野上村・下村之事,下総守ニ被御預」とあり,小代親泰を推挙し,当村などを預けるよう加藤清正に伝えている村高は,「寛永郷帳」1,211石余,「正保郷帳」も同高でうち田575石余・畠635石余,「天保郷帳」1,446石余「旧高旧領」791石余中程村・鍋村・扇崎村を分村これら3か村は,慶長11年の検地帳(県立図書館蔵文書)や寛永11年の地撫帳(同前)に村名が見え,また「肥後国誌」は当村のうちとして別記する寛永21年の細川光尚判物によると,当村など3か村のうち500石が兼坂藤右衛門に宛行われ,同年の細川家奉行連署知行坪付写では当村の256石余が同氏の知行となっている(加悦文書/県史料中世3)「肥後国誌」によれば坂下手永に属し,高780石余,小村に芝原が見え,下村城跡・天神宮・天神森2・八竜神森・池辺寺跡・地蔵堂2が記されるまた,下村城跡は,竜造寺隆信が領知していた時に築かれ,番衆に交代で守らせた砦で,天正10年に落去したとも,大野氏代々が在城したともいうとあり,天神宮は氏神と記される天保15年の坂下手永略反別手鑑帳(多田隈文書)によれば,田33町1反余・畑42町6反余,竈数130・人数594,馬88宝暦年間の知行人は須佐氏ほか12人(草村家文書/岱明町地方史)熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属明治6年内野に公立小学校を開校,同11年の生徒数は67(岱明町地方史)「郡村誌」によれば,田37町3反余・畑46町5反余,戸数127・人数705,牛1・馬80,日本形船2,中尾丸溜池と内野溜池があり,字内野に人民共立小学校があり,生徒数は男52,物産は米・大豆・裸麦・小麦・粱・甘藷・清酒など,民業は農業110戸・大工職1戸・左官職1戸・造酒職3戸・質屋職1戸など同13年大野下村と改称...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

下村(近世)
 江戸期~明治4年の村名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

下村(近世)
江戸期~明治5年の村名安曇【あずみ】郡のうち犀川支流奈良井川下流左岸に位置する寛永4~9年に犬飼村が6か村に分かれて成立犬飼村の下の方にあたることから,この村名がつけられたという松本藩領村高は,慶安4年の検地で174石余,「元禄郷帳」179石余,「天保郷帳」197石余明暦2年に検地名請人1名による1反3畝14歩の家中新切が行われたこの明暦の新開で,村高10石余が増した文政2年入会原の分地では,3,392坪を分けられた慶安4年には本百姓12・門百姓1安政2年の安曇筑摩両郡村々明細書上帳(県史近世史料5-1)による家数28,人数156(男77・女79),うち羽黒派1人,大日堂がある文化4年の村明細帳に,稲の種類は白川・白穂・かすけ糯・上州坊主・鶯糯,畑の作物として大麦・小麦・油荏・大豆・小豆・油種・綿・茄子・菜・大根・瓜・夕顔・大角豆・芋・胡麻・養蚕,田畑の肥料として下糞・灰・厩糞をあげている堰は榑木川堰・原村堰・井田堰・平瀬堰・中堰・北堰・十ケ堰・勘左衛門堰など勘左衛門堰はほぼ中央部を北に向かって等高線上に流れるが,当村は勘左衛門堰井掛りの組合に加入していない奈良井川沿いの村のため鮭役を課せられていたなお勘左衛門堰の東にある大日堂は,かつて犬飼山の扇平に犬甘半左衛門の祈願寺として建立され,のち現在地へ移転,犬水山養善院と称されたこともあったという北方村の武宮社の氏子で,鳥居火の火祭を行う本郷にはビャクシンの古木があり,市の天然記念物寺子屋は,犬飼佐治兵衛が清常堂を文化8年から明治元年まで開き,教えを受けたもの男350・女10という明治4年松本県を経て筑摩県に所属「旧高旧領」では東方村と見え,明治5年に改称...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

下村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

下村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

下村(近世)
江戸期~明治8年の村名遠江【とおとうみ】国周智【すち】郡のうち宇刈川中流右岸に位置する地名の由来は,市場村の下に位置することによる(掛川誌稿)とか,宇刈郷のもっとも下の村であることによる(宇刈村誌)という慶長年間に市場村より分村(風土記伝)掛川藩領村高は,「元禄高帳」418石余,「天保郷帳」447石余,「旧高旧領」435石余,宝暦6年の田方354石余・畑方18石余(鈴川家文書)「遠淡海地志」では戸数40で,小地名に塔ノ越があり,西楽寺の薬師堂は遠江四十九薬師の37番札所であることが見える「掛川誌稿」によれば,高447石余(うち掛川領388石余・西楽寺領54石余・極楽寺領4石余),戸数30・人口128,松林3か所,西楽寺領内に刀剣などを出土する十三塚がある地内の寺院に時宗法蔵寺・真言宗西楽寺・同宗林光寺があり,市場村の春日大明神を土神とするため村内に神祠のないことが見える助郷は天保2年より東海道掛川宿へ代助郷出役(掛川市史資料集)佐野郡岡津【おかづ】村へ東海道往還掃除出役(東海道宿村大概帳)西楽寺阿弥陀堂(本堂)裏の塔ノ越【とうのこし】という小字名のところには,五重塔があったといわれ(宇刈村誌),同寺の薬師堂の薬師如来座像は藤原期の作とされる代々庄屋を勤めた西尾家は,宇刈七騎と呼ばれた郷士の1つで,先祖は三河より移り住んだといわれ,与惣氏と称し,同氏歴代の1人が「遠江一統誌」を書き著した(宇刈村誌)明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称),同4年静岡県を経て,同年11月浜松県に所属明治8年市場村と合併し,春岡村となる...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

下村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

下村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

下村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

下村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

西暦2024年(平成36年)
419曜日
新着時事用語
リースバック(住宅)の注意点
┗リースバックとは、自宅不動産を事業者に売却して即資金化しつつ

自筆証書遺言書保管制度
┗自筆の遺言書を法務局で保管してくれる制度のこと。2018年に

アポ電詐欺・強盗
┗ 高齢者を狙った詐欺犯罪の手法。オレオレ詐欺の一種とされる場

高輪ゲートウェイ
┗JR東日本が2020年に新設する駅名。田町駅と品川駅の間、東

不用品回収
┗ 部屋の片付けや老前整理・生前整理・遺品整理等で、業者が家庭

所有者不明土地
┗ 永年相続登記(不動産の名義変更)が行われずに、登記簿上で所

遺言控除
┗ 有効な遺言書による相続となった場合、相続税の基礎控除額に上

今日を知る

今日の記念日

『地図の日,最初の一歩の日、聖エクスペディトゥスの祝日』

1800(寛政12)年閏4月19日、伊能忠敬が蝦夷地の測量に出発しました。

今日の暦

月齢:10

月齢:10
月名(旧歴日):十日夜の月(とおかんやのつき)

・2024年(年/竜)
・4月(卯月/April)
・19日
・金
・Friday
・先勝

二十四節気:「穀雨<
・a>」


JLogos Now!!