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大光寺村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
大光寺村(近世) 江戸期~明治10年の村名頸城【くびき】郡のうち高田平野東端,東頸城丘陵西部の山麓地名は,奈良期頸城郡にあったといわれる山寺三千坊の1つ大光寺に由来する天文年間の9月22日付黒田秀忠・新保景重連署状(鞍馬寺文書)に「五十公郷内大光寺」とあり,中世には五十公郷に属したらしいなお,地内西部を市場と称するが,これはかつて馬市が開かれたことにちなむという「慶長国絵図」では,岡田村と大光寺村の間に戸沢村(16石余),大光寺村と宮口村(現牧村)との間に「すへさう村」(6石余)・和田村(128石余),和田村の「しまくら川」対岸に末沢村(6石余),大光寺村東部山間に「うわ山田村」(10石余)が描かれているはじめ高田藩領,天和元年幕府領,寛保元年からは高田藩領村高は「慶長国絵図」3石余,「正保国絵図」81石余,「天和高帳」86石余,「天保郷帳」116石余神社は三島神社・住吉神社寺院は真宗大谷派正覚寺明治10年大村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
大光寺村(近世) 江戸期~明治5年の村名隠岐国周吉【すき】郡のうち江戸期は幕府領松江藩の預り地貞享4年~享保5年,幕府領大森代官所支配地貞享5年「隠州記」では,村高58石余,うち田方3町7反余で49石余,畑方4町1反余で9石余,ほかに新田2石余家数12・人口60,牛8・馬8,もと時宗の真言宗亀尾山大光寺・天神・楯鉾大明神がある「天保郷帳」の村高61石余明治元年「隠岐国村鑑帳」では,戸数10・人口81,牛14・馬3である同4年島根県,同年鳥取県に所属排仏毀釈のため,同5年に大光寺にちなむ村名を石井村と改称... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
大光寺村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」