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- 布施郷(中世)とは
「布施郷(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 布施郷(中世) 鎌倉期から見える郷名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 布施郷(中世) 鎌倉期から見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 布施郷(中世) 南北朝期~戦国期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 布施郷(中世) 鎌倉期~戦国期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 布施郷(中世) 戦国期に見える郷名新川【にいかわ】郡のうち布施川(片貝川の支流)の両岸全域に位置し,現在の魚津【うおづ】市西布施・経田,黒部市の東布施・田家・石田に比定される由来はこの地にある式内社布勢神社にちなむという天正8年4月の「越中国小川山千光寺之記」に,「越中布施之小川山千光寺」と記されたうえで,さらに同社奥院にまつられる大威徳明王が毎年の祭礼の際に尊体を神輿に移して当郷内を相巡るとあるなお,これには勅願による布施の地について,新川郡の東は仏ケ岳を限り,南は片貝川を限り,北は黒瀬川の水海を限り,西は海を限り,東西8里余・南北1里半の地域を指し,この間を「布施之谷」,この中の流れを「布施川」といい,水海を「布施之海」と称したとある(小川山千光寺文書/松雲公)大体当郷もこの範囲と考えられる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 布施郷(中世) 中世に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」