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- 母衣町(近世~近代)とは
「母衣町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- 母衣町(近世~近代)
江戸期~昭和42年の町名高岡母衣町とも称した高岡町散町十四町の1つ(高府安政録/高岡市史)加賀藩領千保【せんぼ】川右岸に位置町名は母衣歩土の邸があったことによる...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7321816]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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母衣町(近世~近代) 江戸期~昭和45年の町名江戸期は金沢城下町のうち,地子町の1つ明治22年からは金沢市の町名浅野川左岸,大橋の下流に位置する金沢城下の北部町名は江戸初期,歩士に属する母衣衆が居住していたことによるといわれる(古蹟志)主に町人居住地で,文化8年肝煎伝右衛門裁許の下に,下級武士6軒を含み計18軒を数える江戸前期から藩の川除番小屋が置かれていた(延宝金沢絵図・文化8年町方絵図)「皇国地誌」には「彦三一番町ノ南頭ヨリ東ニ入リ,北ニ折レテ小坂ヲ降リ,浅野川ノ沿岸ニ出ツ壱町三拾間許其左ハ岩根町ニ通シ,右ハ主計町ニ連ル川縁弐町五拾間許,幅広キハ五間,狭キハ五尺」と記す明治4年の戸数23,大正5年の戸数110・人口320昭和40年一部が金沢市彦三町1丁目,同45年残余が尾張町2丁目となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」