ケータイ辞書JLogosロゴ 三日市村(近世)


富山県>黒部市

 江戸期〜明治22年の村名。新川【にいかわ】郡大布施【おおふせ】保のうち,加賀藩領。萩生から愛本橋を経て舟見に至る街道と大布施を通り入善に至る北陸街道の通る交通の要衝であった。正保4年の「越中道中記」に「沓懸町より三日市迄(道幅弐間)弐拾壱町。壱里山沓懸町はつれに有」「三日市より魚津町迄,壱里弐拾五町拾間 壱里山と三日市川之間拾五町 布施川深さ壱尺,幅拾六間歩渡,忠雨降候へば自由歩渉り不相成候。かたかい川深さ壱尺,幅拾三間,水出候へば,両川共に二日も三日も往還止り申候」とある(県史近世中)。寛文10年の村御印では村高744石余・免5.3,小物成は野役62匁・山役17匁・漆役13匁・伝馬役179.2匁・鮎川役1匁があった。「天保郷帳」の村高は1,444石余。寛永16年宿駅となり,正保2年には,小物成に御旅屋々敷高2石4斗余が加えられ,その後,若干の増減があった(黒部市誌)。また寛政6年には七木運上銀11匁2分6厘,享和元年には油小売役27匁,文化9年には室屋役20匁,紺屋役90匁,豆腐役36匁,また鍛冶役11匁2分6厘・油臼役8匁などの上納もあった(同前)。戸数は,貞享2年67戸・享保19年213戸・安永元年271戸・文化11年303戸・天保7年307戸(平井旧記/黒部市史)。神社は「神明帳」には八心大市比古神社が記されている(越中志徴)。同境内には神明社・天神社を合祀。ほかに市姫社・天神社の神社がある。寺院は曹洞宗西徳寺・真宗光闡寺・明源寺・光輪寺・徳法寺がある。天保年間,十村役神保氏の手代峯村長次郎(郷蘭圃)は自宅において寺子屋を開き三本柿の伝説がある(肯構泉達録/越中志徴)。明治9年石川県,同16年富山県に所属。同22年下新川郡三日市町の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7322042
最終更新日:2009-03-01




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