- JLogos検索辞書>
- 湯上村(近世)とは
「湯上村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
湯上村(近世) 江戸期~明治8年の村名湯ノ上村とも書いた(見稲簿)豊後国直入【なおいり】郡朽網【くたみ】郷のうち岡藩領久住【くじゆう】高原北東部,大船【たいせん】山南東麓の七里田川流域に位置するはじめ有氏【ありうじ】組千石庄屋,のち同組大庄屋に属した村高は「正保郷帳」101石余,うち田82石余・畑19石余,水損がち,「見稲簿」「天保郷帳」ともに101石余,「旧高旧領」141石余なお,貞享2年の村高146石余,村位は上(農民一揆)当村関係の史料には延享3年の「御水帳」(武藤氏文書)がある正徳元年の類族改では当村の同年以前類族病死者男6・女4(朽網郷切支丹類族)明治4年大分県に所属同8年向原【むこうばる】村ほか6か村とともに有氏村に合併現在の直入郡久住町大字有氏のうち |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
湯上村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」