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- 吉谷村(近世)とは
「吉谷村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 吉谷村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 吉谷村(近世) 江戸期~明治5年の村名播磨国美嚢【みなぎ】郡のうち美嚢【みのう】川中流右岸の丘陵地に位置する慶長5年姫路藩領,元和3年からは明石藩領村高は,「正保郷帳」290石余うち田272石余・畑18石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに342石余元禄年間の高290石余,田の定免4ツ9分5厘(美嚢郡誌)宝暦2年では高342石余うち新開3斗余享和2年明石藩吉川谷村々が年貢減免を訴願するために有安川原に集合したことにより,翌3年その時の頭取の1人として当村の文兵衛が村払いとなった(吉川町誌)東方奥地の青竜池に寺址が残る明治5年吉安村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 吉谷村(近世) 江戸期の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 吉谷村(近世) 江戸期~明治8年の村名能登国鳳至【ふげし】郡のうち能登半島北東部,内浦海岸内陸部で,山田川流域の山間部に位置する加賀藩領寛文10年村御印の村高153石,免4ツ9歩,山役60匁・炭竈役25匁鎮守は貴船神社明治5年石川県に所属同6年の戸数30・人口132(室谷家文書)同8年神道【じんどう】・谷屋村と合併し柿生【かきお】村となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」