ケータイ辞書JLogosロゴ 六郎谷村(近世)


富山県>小谷部市

 江戸期〜明治22年の村名。礪波【となみ】郡五位荘のうち。加賀藩領。元和5年には六呂谷と記し,役家4軒(利波郡家高ノ新帳)。明暦2年の村御印では村高58石・免6.5,小物成は山役27匁・蝋役1匁(加越能文庫)。「天保郷帳」では村高49石余。鎮守は八幡(正徳二年堂宮書上帳)。河林地区西中村の願称寺は,一向一揆の頃,当村に隠遁し,豪族鬼六郎(高瀬家の先祖)の庇護を受けていたといわれる。明治2年の家数11・人口65(小矢部市史),当5年の戸数13・人口56(明治初年の礪波)。明治初年の頃までろくろ師がいて,木地を作り,また和傘の頭部を生産して高岡の業者と取引していたといわれる。山奥に位置するため明治以降は主に炭焼を副業とし,木炭を多く産出した。明治9年石川県,同16年富山県に所属。同22年礪波【となみ】郡子撫【こなで】村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7322682
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ