ケータイ辞書JLogosロゴ 相合谷村(近世)


石川県>金沢市

 江戸期〜明治22年の村名。加賀国石川郡のうち。加賀藩領。寛文10年村御印の村高223石,免5ツ2歩,山役177匁・蝋役1匁。同年の家高5軒・百姓数10人(加州三郡高免付御給人帳)。幕末の村高190石(加能七郡高免)。文政4年の十村組は鞍月組,天保10年には戸板組に所属(皇国地誌)。神社は日吉社(石川郡誌)。当村には「一坊三太敵打」の伝説があり,加賀藩馬廻組山田権左衛門が,当村付近を徘徊中,垣根に咲く桜を家来に手折らさせたところ,家主の三平がこれをとがめ息子三五兵衛も手向かったため切り捨てられた。その後,三五兵衛の子の一坊と三太が父親の敵を討とうとしたが兄一坊は返り討ちにあった。しかし元和6年弟三太はついに祖父・父・兄の敵を討ったという(加賀志徴)。ただしこの伝説には,さまざまな異説もある。明治5年石川県に所属。同9年の戸数27・人口152のうち男69・女83(皇国地誌)。明治22年犀川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7322766
最終更新日:2009-03-01




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