ケータイ辞書JLogosロゴ 赤浜村(中世)


石川県>金沢市

南北朝期から見える村名加賀国河北【かほく】郡倉月荘のうち現在の金沢市北郊,東蚊爪【ひがしかがつめ】町に比定される康暦2年6月1日の足利義満寄進状案に「加賀国倉月庄内松寺赤浜両村事」とあるのが初見翌日斯波義将の施行状が添えられた寄進先は臨済宗宝幢寺であり,永徳2年12月17日義満は安堵を行い,至徳元年11月3日後小松天皇から伊勢神宮役夫工米以下の諸役が免ぜられたその後も,応永18年3月足利義持,永享7年5月18日義教の安堵を受け,宝幢寺領として維持された(以上,鹿王院文書)赤浜の地名は,その昔渤海との戦乱で海岸が鮮血に染まったことによる(赤浜八幡社記/加賀志徴)または競馬会が催された赤馬場と称したことによるともいう(加賀志徴)
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7322799
最終更新日:2009-03-01




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