ケータイ辞書JLogosロゴ 安部屋村(近世)


石川県>志賀町

 江戸期〜明治22年の村名。羽咋郡のうち。はじめ加賀藩領,慶長11年土方氏領,貞享元年幕府領,元禄2年鳥居忠英領となり,同8年再び幕府領,享保7年加賀藩預り地,天明6年からは再び加賀藩領(志賀町史)。寛政12年,村御印の村高は172石余,免4ツ6歩,山役172匁・苦竹役1匁・鳥役1匁・猟船櫂役30匁・外海船役238匁。化政期の村高は172石余,家数は百姓25・頭振78。江戸中期から日本海側有数の商港として北前船が出入し,江戸末期から明治初期の在村の船主小酒屋半左衛門は千石船7艘を所有し,富豪として知られた(志賀瑣羅誌)。東隣の町【まち】村から瓦を,北隣の上野【うわの】村から晒布を船積みし,安部屋瓦・安部屋晒の名で売られた。蝦夷松前藩の場所請負で巨万の富を築いた村山伝兵衛の祖は当村の出身で,手次寺である真宗大谷派西念寺には安永6年に寄進された打敷がある。神社は日吉神社・伊都久志麻神社。明治5年石川県に所属。同16年の戸数120・人口567。同22年志加浦村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7322896
最終更新日:2009-03-01




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