ケータイ辞書JLogosロゴ 飯田(中世)


石川県>珠洲市

 室町期から見える地名。能登国珠洲【すず】郡のうち。応永20年2月9日の恒俊本光寺山田畠置文に「飯田のかう(郷)のさかいハ道を限,若山境者ノ太ふなの木,又若山と兼正と恒俊境者,石つか在」とあるのが初見(本光寺文書/珠洲市史)。その後は,天文9年の大谷村白山宮造立棟札には「大工飯田家次」と見える。真宗大谷派西勝寺所蔵の方便法身尊像裏書写に「明応十年二月 実如」,絹本着色蓮如影像の箱書に「蓮如上人御自画 鏡御寿像 能州飯田惣道場 西勝寺」とあり(同上),15世紀末以来,珠洲郡に教線を拡大しつつあった加賀国吉藤専光寺の飯田惣道場が西勝寺の前身であったことがわかる。また,天正5年3月15日の上杉謙信印判状で小泊【こどまり】・伏見・細谷などの村を宛行われた飯田与三右衛門は,当地の土豪と見られる(飯田文書)。海岸から400mほど離れた丘陵部が飯田城址といわれ,その遺跡らしきものもある。城主は長連綱(西勝寺系譜),長与一景連(能登志徴),飯田与三右衛門の名が挙げられるが詳細は不明。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7323009
最終更新日:2009-03-01




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