ケータイ辞書JLogosロゴ 飯塚村(近世)


石川県>珠洲市

 江戸期〜明治22年の村名。能登国珠洲【すず】郡のうち。加賀藩領。十村組は安永年間折戸組,天保年間若山組に所属。承応3年の村高497石8斗(能登奥両郡収納帳),寛文10年村御印の村高523石,免5ツ,山役148匁・鳥役2匁。明和から天保年間にかけての家数45。垣内に山田谷内・丸山・乙屋間がある。神社に火宮2社(現火宮神社)があり,かつて八箇山の麓にあったが,村から離れすぎていたため延徳年間に遷座し,その時東西2社に分かれたといわれる。幕末期に西本茂右衛門が寺子屋を開いた。明治5年石川県に所属。同6年の戸数62。同17年3月耕道小学校岡田分校が設置され,同18年中等科に指定されるとともに正院小学校飯塚分校と改称。同20年独立して簡易科飯塚小学校となる。同22年正院村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7323014
最終更新日:2009-03-01




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