ケータイ辞書JLogosロゴ 庵村(近世)


石川県>七尾市

 江戸期〜明治22年の村名。鹿島郡のうち。はじめ加賀藩領,慶長11年土方氏領,貞享元年幕府領,享保7年からは加賀藩預り地。天正10年前田利家に敗れた石動山勢は,百海【どうみ】の伊掛山へ五社権現を遷座,翌11年正月に利家は石動山監視のため,当村の高橋氏と柴草屋五郎左衛門尉に伊掛山の保護を命じた。慶長2年,許されて五社権現は石動山へ還住した。正保2年の村高486石余。貞享4年戸数77・人口692,牛馬53。江戸初期は,百海・虫崎・白鳥【しらとり】・小栗【おぐり】・槙山・清水平・柑子山【こうじやま】・外林【そとばやし】の各村を含めた漁業中心の大村であった。延宝8年,当村から小栗・槙山・清水平・柑子山・外林の5か村が分村(七尾市史)。天正10年すでに大型定置網が行われており,ブリ・タラ・マグロをとる網が13統もおろされていた。幕末には渡海船5隻で海運を行っている。ほかに漁船45・耕作船15隻を持っていた(同前)。余業として,割木2,000束・苦竹100束・苧絈40を産出している(多幡家文書)。明治3年の戸数150,うち水呑が83軒もあり,定置網漁村の特徴を示している。鎮守は伊掛山の伊影神社,当社は郷社的性格を持つ。ほかに白鳥の児宮,百海の諏訪,虫崎の山神,庵の菅原神社がある。寺院は真宗大谷派の西方寺と本願寺派の広玄寺がある。明治5年石川県に所属。同22年北大呑【きたおおのみ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7323019
最終更新日:2009-03-01




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