ケータイ辞書JLogosロゴ 飯川村(近世)


石川県>七尾市

 江戸期〜明治22年の村名。鹿島郡のうち。加賀藩領。天正17年の村高872俵余,慶長11年では922俵余(天池家文書)。寛文10年村御印の村高は571石,免5ツ1歩,山役367匁・苦竹役3匁・鳥役6匁。天保年間の戸数97・人口567,馬20。天明6年には布10反・木綿70反・苧絈800を産出し,嘉永5年の渡世は木挽き23・大工6・桶師4・質屋1・室屋2・紺屋1・綿打3・酒造1・蝋燭懸2・野鍛冶3・綿商売・古手商売2・古金商売1と多岐にわたる職種が見られ,当地域の中心的集落であった(七尾市史)。天保元年から明治初年まで観常和尚が寺子屋を開き,習字・珠算・漢文を教えた。子弟200人ほどいたといわれる(県統計書)。毎年5月,石動山衆徒が能登国を巡り清浄米を集めて,当地の高橋川畔を集合場所としたと伝える(能登志徴)。神社は神明宮2社。下の神明宮は,明治7年に伊勢御田神社と改称,さらに同41年に上の神明宮を合祀し飯川神社となる。寺院は真言宗光善寺,真宗大谷派頓聴寺がある。明治5年石川県に所属。同22年に徳田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7323025
最終更新日:2009-03-01




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