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- 石坂村(近世)とは
「石坂村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 石坂村(近世) 江戸期~明治8年の村名安曇【あずみ】郡のうち姫川中流左岸の山間に位置する山間部は地滑り地帯で,のち明治44年には浦川上流の稗田山で地滑りが発生し,大被害となるもとは西小谷【にしおたり】村の一部慶安検地の際に西小谷村が石坂・大網・来馬の3か村に分村して成立松本藩領大町組に属する村高は,「元禄郷帳」46石余,「天保郷帳」では西小谷石坂村と見え196石余,「旧高旧領」200石余享保20年の家数62・人数554,馬14・牛32村民の生業は米作が中心であったが,耕地・生産量ともに少なく,畑では主に麻を生産したまた松本と糸魚川【いといがわ】を結ぶ千国街道が村内を南北に通っており,沿道には牛方・歩荷を生業とする者が多かった複雑な地形のため集落は散在し,享保年間には宮本・下り瀬・池原・北野・高車・湯原・日道・石原・奈良尾・柴原といった枝郷があり,他村の枝郷と入り組んでいた安政2年の安曇筑摩両郡村々明細書上帳(県史近世史料5-1)によれば,家数53・人数795地内池原に諏訪社がある明治4年松本県を経て筑摩県に所属同8年千国村・中小谷村・中土村・北小谷村の各一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 石坂村(近世) 江戸期の村名魚沼郡のうち芦ケ崎村5か村の1つ中津川中流左岸の川沿い地名の由来は,芦ケ崎本村のうち相吉段丘面から下る坂道に岩石が多いためという元和2年長峰藩領,同5年福島正則領,同8年幕府領,寛永元年高田藩領,天和元年からは幕府領村高は,「正保国絵図」3石余,「天和高帳」「元禄郷帳」ともに9石余元禄7年改村鑑によれば,家数4(本家2・水呑2)・人数21,馬4中津川に張り出した狭い舌状台地にあり,中津川原へ新田を開くが洪水のたびに流亡を繰り返した文政3年に新田高請をした5町余の水田は,2年後の洪水で3町5反が流亡した芦ケ崎村全体を統括する庄屋が芦ケ崎村に置かれ,当村には庄屋が置かれなかった江戸中期に芦ケ崎村の一部となったと思われるが(天保郷帳),その後も独立して扱われることがあった... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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