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- 院内村(近世)とは
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院内村(近世) 江戸期~明治8年の村名会津地方中部,湯川流域温泉入口に位置する会津郡のうち会津藩領南青木組に属す天寧村から分村して成立という(会津鑑)村高は,文化15年の村日記(県史10下)では266石余,「天保郷帳」428石余,「旧高旧領」438石余村名は,昔羽黒神社の別当東光寺の院内であったことに由来する竹林院・地蔵屋敷・大仙坊などの地名も残っている(新編会津)化政期の家数40軒(同前)神社は稲荷神社明暦3年保科正之の長子正頼が死亡した際,院内山が墓所に当てられ,以後藩主松平家墓地となる寛文12年に保科正経の命により新堰を掘り,新田2町余を開いて墓田とし,また享保14年に墓域を定める(新編会津)当村は諸役が免除され,松平家の墓守をした雁【かりがね】用水の取入口が地内にあり,天寧村を経て若松城下へ流れる藩直営の堰で黒川堰・大堰とも称し,戊辰戦争の兵火で堰の旧記が失われ沿革は不明であるが,明治4年に上流の上江堰と合わせて改修がなされた(会津の堰)明治4年の戸数35・人口199(若松県人員録)同8年慶山村・天寧【てんねい】村と合併して石山村となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
院内村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
院内村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
院内村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
院内村(近世) 江戸期の村名音内村とも書く出羽国由利【ゆり】郡のうち大内町深沢字院内の地に当たるもと内越【うてち】郷のうち慶長7年~元和8年最上氏領(楯岡豊前守代官支配),同8年本多正純領,同9年から亀田藩領慶長17年という「由利郡中慶長年中比見出検地帳」に内越郷院内村と見えるのが初見その貢納高は35石余である(同年検地帳/秋田県史2)村高は寛永2年「油利之内修理大夫様御知行検地牒免定之目録写」によれば音内村110石余(うち納米71石余・免6.5)亀田藩の免平均5.6強に比して高率である「正保国絵図」には音内村当高125石余とある正保3年「高目録」では岩城但馬守領分音内村として同高(うち田方125石余・畑方5斗余)を記す元禄15年「郷村高辻帳」,「元禄7郡絵図」では110石余,「天保郷帳」では125石余村鎮守は不明深沢村に併合された時期は不詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
院内村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
院内村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
院内村(近世) 江戸期~明治11年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」