ケータイ辞書JLogosロゴ 上戸村(近代)


石川県>珠洲市

 明治22年〜昭和29年の珠洲郡の自治体名。北方・寺社・南方3か村が合併して成立。旧村名を継承した3大字を編成。村役場ははじめ大字南方に置かれ,大正9年珠洲療院を買収して移転し,珠洲郡最初の西洋建築として珍しがられたが,昭和3年大字寺社に移転。農業中心の村で,職業構成は明治23年農業84%・工業2%・漁業3%・商業3%,昭和26年農業67%・サービス業7%・卸売小売業7%・水産業3%となっている(上戸村史)。江戸期には製塩業も盛んで,明治24年の塩釜数57・生産高9,733石だったが,米の前貸制度の廃止により不振となり,代わって養蚕が導入された。養蚕戸数は明治22年8,大正2年10,同13年50,昭和元年70と急増(珠洲市史)。明治22年名古屋から職工を招いて上戸縞の生産が開始され,一時は隆盛したが大正初期には衰退した。冬季の酒造出稼ぎは,古くから能登杜氏として知られ,その年次別人数は明治30年297,大正7年286,昭和16年231,同28年167となっている。明治28年上戸農業補習学校設立。大正4年に初めて電灯がつき,昭和3年にはほぼ村中に普及した。同10年農村経済更生村に指定される。戸数・人口は明治22年451・2,507,大正9年412・2,045。昭和28年の世帯数537・人口2,713。同29年飯田町ほかと合併して珠洲市となる。3大字は上戸町を冠称し,同市の町名に継承された。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7323296
最終更新日:2009-03-01




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