ケータイ辞書JLogosロゴ 牛嶋村(中世)


石川県>寺井町

 平安末期〜戦国期に見える村名。加賀国能美【のみ】郡得橋【とくはし】郷のうち。嘉応3年2月日付散位中原朝臣頼貞譲状に,「在 牛嶋堺板津庄訪(牓)示重友村」とあるのが初見(菊大路家文書)。鎌倉期に入り当村は南禅寺領となり,徳治3年5月2日付の関東下知状によれば「得橋本郷〈牛島村〉地頭〈丹波掃部助貞高〉代乗賢」が佐羅【さら】村を押領した事実が知られ,得橋本郷が牛島村と称されたことがわかる。下って建武2年5月25日後醍醐天皇は「得橋郷内牛嶋村地頭職」を南禅寺に宛行っており,次いで後光厳上皇は貞治6年10月2日当村など南禅寺領の勅役・院役以下を免除されたが,のち在地武士による押領が相次ぎ,応永10年11月12日に幕府は加賀守護斯波義種にあてて,「南禅寺領……佐野・牛嶋村……諸公事・臨時課役并段銭・人夫以下国役,守護使不入事」としている(以上南禅寺文書)。その後,加賀国は長享2年の一向一揆や享禄4年の大小一揆を経て本願寺の領国と化し,本願寺門徒による年貢未進・荘園押領のため,加賀国に所領を持つ人々は年貢完納などの口添えを本願寺に求めるようになった。当村も例外ではなく,天文5年10月7日に南禅寺は本願寺にその口添えを求め,本願寺10代証如もこれに応じている(天文日記)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7323354
最終更新日:2009-03-01




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