ケータイ辞書JLogosロゴ 宇留地村(近世)


石川県>穴水町

 江戸期〜明治22年の村名。鳳至郡のうち。加賀藩領。寛永12年,十社権現(現宇留地神社)棟札には「肝煎右衛門・大工宗三郎」の名がある(能登志徴)。寛文7年の浦野事件で,長氏家臣の宇留地平八は切腹,倅3人は殺害され,中世以来の宇留地長氏は断絶した(長家家譜)。寛文10年村御印の村高581石,免5ツ1歩,山役136匁・苦竹役3匁・鳥役2匁出来・漆役2匁・蝋役1匁。ほかには山村にもかかわらず猟船櫂役15匁出来が賦課されている。天和2年,同村茂右衛門が闕所となった。その理由は不明だが,キリシタンのため処罰されたと伝えられている(西福寺文書)。享保20年の百姓58・頭振13(大西家文書)。慶応3年の村高584石。寺院は,長氏館跡とか茂右衛門屋敷跡などと伝えられる真宗大谷派西福寺と極生寺,神社は宇留地神社がある。明治5年石川県に所属。同7年神社を仮用して宇留地小学校が開校され,同8年校舎を新築する(鳳至郡誌)。同16年の戸数93・人口462(能登国図)。同17年励精小学校,同20年簡易科宇留地小学校と改称(鳳至郡誌)。同22年東保【とうぼ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7323480
最終更新日:2009-03-01




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