ケータイ辞書JLogosロゴ 大海郷(古代)


石川県>押水町

平安期に見える郷名「和名抄」能登国羽咋【はくい】郡八郷の1つ高山寺本は「大海」,刊本は「太海」と表記する訓は「於保美」郷名は,承久3年9月6日の能登国田数注文に,保延2年の立券と見える羽咋郡大泉【おおしみず】荘に継承され(鎌遺2828),戦国期以降は,転化して押水【おしみず】荘・押水三ケ【おしみずさんか】荘(押水大海荘・押水中荘・押水北荘)の名で現れる「延喜式」に見える羽咋郡の相見【あいみ】神社と結びつけ,近世にいう押水北荘の相見川中流域にあって,延喜式内社相見神社の後身と伝えられる相見神社が所在する羽咋郡押水町の麦生【むぎう】を郷域の中心と考える説(能登志徴・郷土辞彙)と,近世に押水三ケ荘と呼ばれる範囲のうちの,南部の大海川流域の押水大海荘と中央部の前田川流域の押水中荘に限定してとらえ,北部の相見川流域の押水北荘を,北接する子浦【しお】川流域の羽咋郡志雄【しお】町中心部とともに,高家【たかや】郷に比定する説(地理志料)に分かれる子浦川流域を高家郷に比定すべき確証は得られないが,子浦川流域と相見川流域が,郷域を共通にしていた可能性は強く,押水北荘と呼ばれた相見川流域が,大海郷の郷域に相当するかどうかは疑わしいしたがって,大海郷の郷域の中心は,能登国の南隅の大海川・前田川流域と見てよいであろう推定郷域内には,弥生〜古墳時代の北川尻【きたかわしり】遺跡や冬野【ふゆの】古墳群・坪山【つぼやま】横穴群のほか,黒川【くろかわ】・元女【がんによ】・箕打【みうち】窯跡群が知られるなお,現在は,郷域のうち近世に押水大海荘と呼ばれた地区の大部分を占める大海川中流域の谷頭平地は,かつての加賀国に属する河北【かほく】郡高松町に,大海川上流域の河谷も,かつての加賀国に属する河北郡津幡【つばた】町に,それぞれ旧国境を越えて編入されている
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7323763
最終更新日:2009-03-01




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