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- 岡本郷(古代)とは
「岡本郷(古代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 岡本郷(古代) 奈良期~平安期に見える郷名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 岡本郷(古代) 奈良期~平安期に見える郷名「和名抄」越前国足羽【あすわ】郡十五郷の1つ高山寺本は訓を欠く東急本は「乎加毛土」の訓を付す天平神護2年10月21日越前国司解(東南院文書)によれば,足羽郡道守村の西北1条11上味岡里,糞置村の西南8条5動谷里,栗川村の西南4条8原田里に墾田・口分田を持つ農民として「岡本郷」の佐為広国・刑部三野麻呂・道守床足・道守息虫女・道守乙虫女・生部豊足・生江大国らの名が見える翌年には当郷戸主粟田多比女の戸口道守息虫女が墾田を東大寺に売却している(東南院文書天平神護3年3月2日道守息虫女解)近世初頭の越前国絵図に見える「岡之保」,近代の岡保村に比定する説がある(地名辞書)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 岡本郷(古代) 平安期に見える郷名婦負【ねい】郡のうち「和名抄」に見える婦負郡10郷の1つ刊本に「乎加毛止」の訓を付す「三州志」は一案として近世の長沢郷内山本村(富山市山本)に比定するが,単なる名称の類似による臆測の域を出ない「地名辞書」「日本地理志料」は,旧四方【よかた】村の辺に岡本という地あり,との先説に従い,富山市四方以南の神通【じんづう】川河口左岸地域一帯,近世の駒見郷・倉垣【くらがき】荘の域に比定しているが,定かではない... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 岡本郷(古代) 平安期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 岡本郷(古代) 奈良期~平安期に見える郷名「和名抄」河内国交野【かたの】郡六郷の1つ「続日本紀」養老元年9月7日条によると,従五位上台忌寸少麻呂は,居によって氏を命ずるのは従来の恒例であると言上し,台氏を改換して岡本姓を賜っている淀川沿岸に位置し,郷域は,現在の枚方【ひらかた】市の岡本【おかほん】町・岡・三矢付近に比定される(地名辞書)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 岡本郷(古代) 平安期に見える郷名遠江【とおとうみ】国豊田郡池田荘のうち嘉応3年2月日の遠江国池田荘立券状(松尾神社文書/平遺3569)によれば,当郷は松尾神社領池田荘に含まれ,田93町1反4丈,畠38町6反2丈,在家6宇があったことが知られる現在の豊田町大字上本郷・下本郷・赤池のあたりに比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 岡本郷(古代) 平安期に見える郷名浅井郡のうち「和名抄」に見え,現在の湖北町伊部【いべ】・留目【とどめ】・虎姫町三川・浅井町山前【やまさき】・田川などに比定される地名は岡(浅井岳)のもとにあることから出たという郷内に式内社として岡本神社があったとするが,所在不明また,中世には地名は見られない... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 岡本郷(古代) 平安期に見える郷名浅井郡のうち「和名抄」に見え,現在の湖北町伊部【いべ】・留目【とどめ】・虎姫町三川・浅井町山前【やまさき】・田川などに比定される地名は岡(浅井岳)のもとにあることから出たという郷内に式内社として岡本神社があったとするが,所在不明また,中世には地名は見られない... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」