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- 桶町(近世~近代)とは
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桶町(近世~近代) 江戸期~昭和6年の町名1~2丁目があった町名は桶職人の集住地であったことによる寛永18年の当町を火元とする火事は97町,130余の武家屋敷を焼失し,江戸初の大火といわれた(備考)町内には名井「譲【ゆずり】の井」があった夏期に1椀1文で売り,その貯えを子孫に譲ったことから名づけられたという(砂子)明治元年東京府に所属同2年,丁目の別を解消,同5年の戸数316・人口1,254(府志料)同11年京橋区に所属明治期には書家尾形月耕・浮世絵師月岡芳年・講談師桃玉が居住していた(画報)昭和6年,槇町【まきちよう】1~2丁目・京橋1~2丁目に編入現行の八重洲【やえす】2丁目・京橋1~2丁目のうち |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
桶町(近世~近代) 江戸期~昭和39年の町名明治前期は新発田【しばた】を冠称江戸期は新発田城下の1町元和年間の成立という三之町のうち享保11年の家数46明治初年の職業構成は,士族1,卒族10,農業19,糀渡世・薬種渡世など13,木挽職・桶職・木羽職など16,大工職17,傘職・衣類仕立など7,穀物渡世・魚売渡世・煮売渡世など20,金具職渡世・油売渡世など11,古道具渡世・荒物渡世など20,日雇渡世55,賃仕事渡世15,医師2明治5年の戸数223うち借家169(新発田市史下)明治22年新発田町,昭和22年からは新発田市に所属昭和6年の世帯数129・人口683同39年大栄町1~7丁目・御幸町1~4丁目となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」