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「鹿島郡」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

鹿島郡


明治22年市制町村制施行により,当郡は1町30か村となり,同年の戸数1万6,121・人口8万1,476(合併誌)...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7324061]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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鹿島郡

天正9年前田利家は,畠山氏が拠った七尾城に入ったが,間もなく所口【ところぐち】の小丸【こまる】山の新城の築造に着手し,また,所口・府中【ふちゆう】の2邑にまたがって城下町を形成して,町奉行を置き能登統治の中心地とした

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

鹿島郡
那賀国および海上国の一部で,大化改新後に建評(郡)が行われた...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

鹿島郡
寿永2年春,越前国燧ケ城【ひうちがじよう】にたてこもり,平家方の大軍と戦った北国の在地領主群のなかに,当郡上日【あさひ】荘の武部氏が見える(平家物語)...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

鹿島郡南条【かしまぐんなんじょう】
(中世)鎌倉期~室町期に見える広域地名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

鹿島郡南条(中世)
鎌倉期~室町期に見える広域地名常陸国のうち弘安田文の現存部分は,前部が失われているが,その失われた部分が鹿島郡の前半部で,現存の冒頭部分は「同宿内永江六丁八段三百歩」となっており,同宿内にはそれに続けて,林・小佐・保立・山上・片野・安宗名が記されている(税所文書/県史料中世Ⅰ)「新編常陸」は,この同宿内を「中村宿」としており,欠失部分が当時残存していたとも考えられる弘安田文には,その次に「下宿内」として「守真名二丁二段半」以下,久清・国忠名・阿前・宮武吉名・貞国名・国正名・猿小河・五郎丸・平浜・高浜・筒井・泉河・矢田部・矢田葦前・嶋前をあげているこれらに付記された田数をそれぞれ合計すると,中村宿75町5反300歩,下宿258町8反60歩で,南条分の田数は334町4反となる嘉元田文には,鹿島郡南条の惣田数を350町とし(所三男氏所蔵文書),康永2年正月9日書写の鹿島神宮領田数注文案も同じ田数であるが(鹿島神宮文書/県史料中世Ⅰ),これは先の弘安田文の残存分合計田数とそれほど違わず,弘安田文の欠失部分はさほど多くないと思われる弘安田文によれば,鹿島郡南条と鹿島郡北条との境は,南条の林と北条の白鳥郷内志崎・武井の間である古代以来の鹿島神宮の神郡であった鹿島郡が,南条と北条とに分かれた時期および経緯は不明しかし弘安田文にも見えるように,郡内には広大な別名(神官名)が形成されているから,おそらく当郡も平安末期頃に郡自体が社領荘園化するとともに,その支配の便宜上,南北に分割されたのであろう康永元年8月15日の鹿島尾張権守利氏申状案によれば,鹿島利氏は本知行分として「常州鹿島郡南条下宿宮本郷内永助・吉久両名田畠在家,岡野村,葦前村,益田村及宮本屋敷一所〈号大判官代内〉,馬場二鳥居南面屋地,同内田曳相里五段」を有していたという(後鑑)利氏はおそらくこの頃の鹿島氏惣領を名乗った人物と思われるが,未詳鹿島氏惣領は,代々宮本郷を本拠地としていたので(鹿島神宮文書/県史料中世Ⅰ),利氏もその知行権を主張したのであろう応安5年4月17日の沙弥本光譲状写には,「鹿島郡南条沼尾宿内田野辺・田谷・笠貫・沼谷・大抜戸・東浜并野,及太宮桟敷一間以下地頭職」が,鹿島沼尾氏の間で相伝されている(鹿島神宮文書/県史料中世Ⅰ)このように鹿島郡南条には,鹿島氏惣領および庶子家が,鎌倉初期頃より土着していたしかし南北朝の動乱に際してこの付近にも他の勢力が進入し,康暦2年5月7日の木滝家親寄進状によれば,木滝氏が鹿島の根本寺に対して南条下宿内の「そりまち大なわ本東三反,社地上里廿四反,同里四反」等を寄進し(根本寺文書/県史料中世Ⅱ),また応永24年8月25日の永観寄進状では,某永観が「なんてうしもしゆくのうち,いわたの里七の田,ミなミなハもと二たん」等を同じく根本寺に寄進している(同前)なお鎌倉期~室町期に南条に広く分布していた鹿島氏には,惣領鹿島氏のほか,立原・林・沼尾・田野辺各氏がいる(常陸大掾系図/続群6上)現在の鹿嶋市(旧大野村南部と鹿島町)・神栖町・波崎町を含む地域に比定される...

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鹿島郡
文禄3年の太閤検地によって東北の一部が茨城郡に編入されたが,元禄年間までには旧に復し,郡域が確定された...

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鹿島郡
明治11年の郡区町村編制法施行により成立...

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鹿島郡北条【かしまぐんほうじょう】
(中世)鎌倉期~南北朝期に見える広域地名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

鹿島郡北条(中世)
鎌倉期~南北朝期に見える広域地名常陸国のうち弘安田文に「北条徳宿郷五十四丁八段三百歩」とあり,以下同郷神谷戸,同宮田郷,白鳥郷,同郷内家吉末遠,同郷内家吉武国などと見える(税所文書/県史料中世Ⅰ)また弘安田文によれば,鹿島郡南条と鹿島郡北条との境は,南条の林と北条の白鳥郷内志崎・武井の間であった鹿島郡全体は,古代以来鹿島神宮の神郡であったが,おそらく平安末期頃から神宮の社領荘園化に伴い,郡が南条と北条とに分割支配されるようになったのであろう嘉元田文によれば,北条の惣田数は288町9反大で(所三男氏所蔵文書),これは康永2年正月9日書写の鹿島神宮領田数注文案の合計田数と同じである(鹿島神宮文書/県史料中世Ⅰ)鎌倉期にこの地域を根拠地とした鹿島氏庶流には徳宿・安房・宮崎・鎌田(烟田)各氏がいる(常陸大掾系図/続群6上)鹿島郡北条の呼称は室町期以降ほとんど見えず,これら各氏の独自な郷・村支配が,平安期以来の北条という地域呼称を消失させていったのであろう現在の大洗町・旭村・大洋村,鹿嶋市(旧大野村)北部,巴川右岸を除く鉾田【ほこた】町などを含む地域に比定される...

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鹿島郡【かしまぐん】
常陸国・茨城県の郡名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

鹿島郡【かしまぐん】
能登国・石川県の郡名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

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