ケータイ辞書JLogosロゴ 佐羅(中世)


石川県>吉野谷村

 鎌倉期から見える地名。加賀国石川郡のうち。古代以来の白山宮加賀馬場中宮三社の1つ佐羅宮の所在地であり,加賀国能美【のみ】郡得橋郷内の佐羅村とは地点が異なる。徳治3年5月2日の六波羅探題裁許状(南禅寺文書)に「寄事於牛嶋村下知状,押領各別当郷内佐羅村由事」とあり,「白山中宮・佐羅・別宮」の雑掌貞清が,嘉元2年以前から能美郡得橋郷内佐羅村の領有をめぐって南禅寺領得橋郷地頭代興範との間に相論を展開していたことが知られる。得橋郷内佐羅村は,位置を明確にできないが,佐羅宮からは,大日山系を越えて,北西に約14kmばかりの距離にあり,中宮三社(中宮・佐羅宮・別宮)の御供田があったために,佐羅村と名付けられた。上述の「六波羅探題裁許状」は,雑掌貞清が,得橋郷内の5町余の別宮御供田を足がかりに,「三十余町」を入手し,得橋郷内佐羅村に城郭を構えたとする。次いで,元亨元年4月10日と同年5月18日の六波羅探題召状案(南禅寺文書)は,石川郡山内【やまのうち】荘地頭吉谷五郎の子の虎犬丸が,「佐羅・別宮神主」を号して,神人を率い,得橋郷内佐羅村に乱入したことを伝える。吉谷氏の本領の吉谷(現在の石川郡鳥越【とりごえ】村下吉谷付近)は,佐羅宮の対岸,北西約1kmあまりに位置する。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7325117
最終更新日:2009-03-01




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