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- 七海村(近世)とは
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七海村(近世) 江戸期~明治初期の村名能登国鳳至【ふげし】郡のうち地名の由来は,かつて海が深く入り込み出浦と呼ばれていたころ,清水がどこからでも湧き出たので,「しみず」が「しつみ」となったものといわれる通称下七海【しもしつみ】ともいう能登半島中央部,七尾湾北湾に注ぐ七海川下流右岸に位置する加賀藩領慶長11年七海川左岸地域が土方氏領となり分村し,同名の七海村となる天正13年の木原村白山神社棟札には「祠官七海村宮沢石見守信兼」とある寛文10年村御印の村高173石,免4ツ7歩,山役69匁・鳥役1匁出来享保20年の百姓17・頭振8(大西家文書)嘉永6年の村高184石余,家数20・馬13座稼ぎは杪【ほだ】・枚木【ばいぎ】(小林家文書)幕末~明治初年に宮沢寺子屋があった鎮守は白山神社・若王子神社明治初期に北七海村と改称 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
七海村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」