- JLogos検索辞書>
- 釈迦堂村(近世)とは
「釈迦堂村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
釈迦堂村(近世) 江戸期の村名常陸国久慈郡のうち久慈川下流左岸に位置する地名は古くから釈迦堂があったことに由来はじめ佐竹氏領,のち慶長14年からは水戸藩領村高は,寛永12年「水戸領郷高帳」515石余(ほか新田59石余),「元禄郷帳」869石余,「天保郷帳」958石余明和元年の戸数111・人口432(新編常陸)「水府志料」によれば,石神組に属し,戸数89,村の規模は東西13町14間・南北8町20間天保13年の検地では,田畠108町余,分米1,099石余,新田田畠2町7反余,分米10石余(新編常陸)社寺は鹿島明神・真言宗泉蔵院(同前)天明5年,当村の庄屋庄左衛門が隣村の大橋・田中中【たなこうち】の両村を郡奉行所に訴え出て水争いが起こる天保13年神田村と改称 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
釈迦堂村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
釈迦堂村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」