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- 新田町(近世~近代)とは
「新田町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- 新田町(近世~近代)
江戸期~現在の町名江戸期は加賀国石川郡松任【まつとう】町のうち明治5年石川県に所属同22年松任町,昭和45年からは松任市の町名町名は,元禄10年八ツ屋(八ツ矢)...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7325579]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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新田町(近世~近代) 江戸期~昭和38年の通称町名江戸期は浜田村の一部で,四日市町続きの町場を形成東海道に沿い,諏訪神社の前に位置する南は江田【えんだ】町と接する文禄3年の検地帳に既に新田の名が出ている延享年間の地図に「此所百余年前は縄手の由に申伝候」と記されていることから元和・寛永年間の頃にはまだ市街を形成していなかったが,街道の整備にともない市街化したもので,宝永年間頃に町として成立し,延享年間には新田町と書かれている(昭和5年版四日市市史)明治22年四日市町,同30年四日市市に所属,同39年に諏訪神社前から東へ国鉄四日市駅へ通じる諏訪新道が開通し,その両側への人家の集中が急速にすすむ同43年の戸数144,大正2年の戸数159・人口828同5年には東部の一部が通称諏訪町となる大正7年の戸数181・人口979(諏訪町45・284,新田町136・695)昭和34年の世帯数151・人口753同38年町域は諏訪町・諏訪栄町・西新地・中部の各一部に分割された |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」