ケータイ辞書JLogosロゴ 遠塚村(近世)


石川県>七塚町

 江戸期〜明治22年の村名。加賀国河北郡のうち。加賀藩領。寛文10年の村御印では村高なしという特異な砂丘村。小物成は地子銭160匁・野役5匁・油役3匁退転・塩竈役52匁(ほか26匁退転)・塩役4匁8分出来・外海引網役60匁(うち30匁出来)・外海船櫂役14匁出来・猟船櫂役20匁出来・六分口銭4分出来。天明6年15石,文化13年25石の新開がなされ(林家文書),幕末には桃の栽培などが行われた(河北郡誌)。文化8年の戸数53・人口262(林家文書),安政2年の戸数60(喜多西家文書)。現在金沢市金石【かないわ】西2丁目にある真宗大谷派妙覚寺は,慶長13年に当村に建立されたが,享保年間に移転(寺社由来)。妙覚寺所蔵文書によれば,寛永のころ70軒の戸数を有し,宝達【ほうだつ】金山の金掘りをする者が多かったが,金山の衰退とともに村勢も衰え,寺も移住したと伝える(七塚町史)。住吉神社には,関流和算家として有名な五十嵐厚義が文化14年に奉納した算額がある。明治5年石川県に所属。明治4年の戸数70(林家文書)。明治初年では江戸期からの漁業,桃・梅・スイカ栽培,養蚕などが主な生業であった。明治17年の暴風で,漁船数十隻が難破,七塚全村で208名の死者を出し,うち遠塚村の死者32(専通寺文書・因託寺文書)。この海難事故を地元では「サバドウセツ」と呼んでいる。明治22年七塚村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7326445
最終更新日:2009-03-01




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