ケータイ辞書JLogosロゴ 中直海村(近世)


石川県>河内村

 江戸期〜明治22年の村名。加賀国石川郡のうち。加賀藩領。寛文10年村御印の村高120石,免3ツ5歩,山役115匁・川役13匁。正徳4年の戸数21,寛政3年23(改作所旧記)。人口は不詳。十村組は文政4年下河内組十六か村,天保11年より河内組三十一か村に所属。鎮守は少彦名神をまつる粟島社,もと八幡社と称され,寛正年間以前の創建という(石川郡のやしろ)。寺院はない。安政5年鶴来【つるぎ】村の商家打毀事件に,口直海村の百姓が参加した(内尾区有文書・山口家文書)。古来水田耕作・常畑耕作・養蚕・炭焼き・麻作りを生業とした。明治5年石川県に所属。同7年久保小学校校下となる。同22年河内【かわち】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7326740
最終更新日:2009-03-01




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