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- 二口村(近世)とは
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![]() | 二口村(近世) 江戸期~明治16年の村名越前加賀白山麓十八か村のうち白山の北西方,手取川の上流(牛首川)左岸緩斜面に位置する地名の由来は,源平争乱の後,表家と鈴木家の祖先がこの地に逃れ開発したと伝えられ,二口の人が集まったという伝承によるとする説(尾口村史)と,また両氏が絶えず勢力争いをして口論が絶えなかったという伝承による説がある(表家文書)が不詳天正2年の土地売渡証文に二口山,文禄3年の土地売渡証文に二口村の名が初見する(林家文書)慶長6年から越前福井藩領,寛文8年からは幕府領慶長6年から延宝元年まで牛首村の郷代官加藤藤兵衛が支配,延宝元年以降主として牛首村の白山麓十八か村の大庄屋(取次元)山岸十郎右衛門が支配(斎藤家文書)村高は「元禄郷帳」6石余,戸数・人口は元禄11年の65戸,文久4年63戸・275人鎮守は二口社,真宗道場の浄念・教覚の2道場があった古来出作り農業(焼畑農業)・養蚕・製炭を生業とし,江戸期最大の戸数は120余明治5年石川県能美【のみ】郡に所属明治9年68戸(尾口村史)明暦のころから「文弥人形浄瑠璃」(でくまわし)が行われた(国重要無形民俗文化財)慶長12年・宝暦6年に加賀藩領民との間に足ケ谷【あしがたに】騒動があった明治16年同一郡内に同名村(板津郷二口村,現根上【ねあがり】町西二口)があるため東二口村と改称,二口村の地名は消滅 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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