ケータイ辞書JLogosロゴ 阿納浦(中世)


福井県>小浜市

 鎌倉期から見える浦名。若狭国遠敷【おにゆう】郡のうち。建久6年12月4日の太政官符(吉川半七氏所蔵文書)に,国富保の四至を定めた「傍示伍本」のうち北の1本を「阿那尾山并同尻山与当保三辻峰」に打ったとあり,また,犬熊野荒浦の四至として「西限阿那尾崎」とある。これ以前平経盛が若狭国司であった仁安元年〜嘉応2年の時,犬熊浦と阿納浦の境は「阿那尾崎」と定められていたが,この建久6年の立券のときには,阿納浦刀禰重次と海人らが訴訟を起こし,牓示の位置が犬熊浦側に1町分移動変更されている。文暦2年・文永6年には刀禰重次の子孫かと思われる「阿納浦重延」「阿納尾浦刀禰重延」が宮河保内黒崎山を預かっていたと見え,製塩が行われていたと推測される(秦文書/小浜市史諸家文書編)。文永2年11月の若狭国惣田数帳案によれば,国衙領に含まれ国衙の税所の管理下に置かれており,1町8反70歩の田数が確認できる(京府東寺百合文書)。貞和4年の田烏浦天満宮造営助成注文案には「酒坪(壺)一 自阿納浦也」と見え,他浦との結び付きの一端がうかがい知れる(秦文書/小浜市史諸家文書編)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7329061
最終更新日:2009-03-01




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