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- 安良町(近世)とは
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安良町(近世) 江戸期の町名荒町とも書いた大山城下のうち大山城は元和8年廃城,同年庄内藩領,慶安2年大山藩の城下となり,寛文9年からは幕府領城下南部に位置する寛永19年の検地帳(大山町史)によると当町の石高所有状況は,61名のうち0~1石11名,1~5石35名,5~10石9名,10~20石6名寛文9年御家数并人数調(栗本文書/大山町史)で家数65軒弘化3年家数人数寄帳(大滝文書/大山町史)の家数95軒うち百姓75・水呑20,人数410うち男184・女226,馬2明治4年人馬人別家数調(大山町史)の家数87・人数419,雄馬3天保13年の大山村本町酒造店書上(大滝文書/大山町史)では当町の酒造人に,惣治郎(酒造元株高40石・酒造米高31石余),弥左衛門(同株高16石・同米高124石余)ら7名程が見える慶応3年の大山村検地帳によれば,当町で1石以上の高を持っている者は,酒屋の石井源右衛門・幸右衛門・惣治郎・寿平,醤油屋の又四郎,質屋の市兵衛,蝋燭屋の与左衛門,桶屋の太右衛門など明治10年の職業別戸数(大山町史)は,78戸のうち農業2・工業16・商業39・雑業20・医師1(同前) |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
安良町(近世) 江戸期の町名善光寺町の一町善光寺大勧進の南西に位置する南北の町で,北は新道,南は桜小路と接する(弘化4年善光寺大地震後の火災之図/長野市史)なお,明治12年の長野町図(長野市史)でも同位置に見え,北は横沢町,東は上西之門町と接する明治4年善光寺領は廃止され,これに伴って以後は長野村・長野町の各一部となり,現在長野市長野のうちに含まれる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」