ケータイ辞書JLogosロゴ 安島浦(中世)


福井県>三国町

 鎌倉期から見える浦名。越前国坂北郡坪江郷のうち。正和5年3月日の越中放生津住人則房申状に「同(大乗院)御領越前国坪江郷佐幾良・加持羅・阿久多宇三ケ浦」と見え,三ケ浦預所代左衛門次郎や阿久多宇刀禰太郎らの住人が佐幾良に泊った関東御免津軽船を押し取ったという(内閣文庫蔵大乗院文書雑々引付/鎌遺25798)。崎浦・梶浦とともに三ケ浦と呼ばれていた。大乗院尋尊筆の坪江下郷三国湊年貢夫役等事によると,当地は大乗院領坪江下郷のうちで三保浦とも称され,田地2町1反300歩を有した(北国庄園史料)。「大乗院寺社雑事記」寛正4年11月晦日条には「同(坪江)郷之内安島之内社司職事」と見える。下って,天正3年2月には織田信長方の兵船の来襲に備え下間頼照が豊原寺から下向して「安島浦ノ三保島」などに城を築かせたことが「越州軍記」に見える。この三保島とは雄島のことで三保大明神が鎮座し,河口荘綿両目等事によれば寄進田4町8反大60歩あり,戦国期まで大般若経転読を行っていた(北国庄園史料)。なお,太閤検地帳には田8町余・畠35町余とある。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7329159
最終更新日:2009-03-01




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