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- 石丸(中世)とは
「石丸(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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石丸(中世) 鎌倉期に見える地名豊後国国東【くにさき】郡都甲荘のうち現在地未詳永暦2年3月27日の宇佐弥勒寺留守所下文に,「寺家留守所下 都甲庄 可早免除石丸垣廻領田参町事〈但屋敷田三段,田一町,糸田一町,門田七段〉」とあるのが初見(都甲文書/大友史料1)屋敷・門田などから見て,開発領主(左近大夫源経俊)の屋敷免除に関するものである石丸は石垣をめぐらした中世武士の屋敷の意で(武士団と村落),「石丸垣廻」とあるのは重要承久3年3月の都甲荘造宇佐仮宮料米徴符には,「石丸四斗六升」と見え,課役徴収単位となっており,名であることがわかる(永弘文書/大友史料2)永仁元年9月25日の大神惟親譲状に,「在豊後国都甲庄地頭職〈但半分〉并上石丸已下名田畠山野等事」とあるのが終見(都甲文書/大友史料3)なお当荘には,弥石丸・又弥石丸など,石丸に関する名があり,源氏女(地頭都甲惟国妻)と雑掌との相論となっているいずれも領家進止名で,源氏女が横領したという(都甲文書/大友史料4) |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
石丸(中世) 南北朝期から見える地名越前国吉田郡のうち「太平記」に延元3年に新田義貞の城として「河合ノ石丸ノ城」が見え,当地の城と考えられるが,下って延徳3年3月10日に冷泉為広がこの「イシマル」を通った時にも「城アリ」とされ,「其日火事アリ」と記されている(冷泉為広卿越後下向日記/県史研究3)河北(河合)荘に石丸名という名があり,長禄3年12月20日に後花園天皇より京都嵯峨正住院にその名主職が安堵されている翌長禄4年9月26日には将軍義政からも安堵されており,また某年12月22日の甘露寺親長書状によるとこのとき正住院は河北荘の公文職をも綸旨によって与えられていると主張していることからすれば,当名は公文職と関連ある名であったと推定される(醍醐寺文書)この石丸名は名の名称であるから,特定の地域を指すとはいえないが,同じ頃の長禄2年の河合荘松包名の作人に「石丸浄覚」が見え,地名化しつつあったことがわかる江戸期の石森村は「正保郷帳」で石丸村とされており,石丸の遺称である... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
石丸(中世) 鎌倉期に見える地名豊後国速見【はやみ】郡山香【やまが】郷のうち現在の速見郡山香町のうちと思われるが未詳鎌倉末期と推定される宇佐八幡御炊殿諸庄供米注文に「山香庄,石丸四斗」とあるのが唯一の史料(永弘文書/大友史料5)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」