ケータイ辞書JLogosロゴ 磯部(近代)


福井県>鯖江市

 明治22年〜昭和30年の北中山村の大字名。明治24年の幅員は東西2町・南北2町,戸数60,人口は男164・女165。世帯数・人口は,大正9年62・287,昭和10年59・277。養蚕業の発展とともに特産物として蚕種製造が盛んとなったが,河和田村が合資会社によるものが多いのに比べ,当地は個人経営が中心。明治初年山本六右衛門によって始められ,明治25,6年頃から南部七太夫ら6軒が開業。昭和2年度の製造戸数5戸,製造額3万3,279枚(1枚2円),販売先は県内をはじめ,岐阜県・石川県・山梨県・静岡県・群馬県・埼玉県・東京都に及んだ。原蚕の製造は南条郡河野村大良,丹生郡萩野村入尾・松に設けられた多数の分育場で行われた。その後昭和恐慌によって急速に衰退した(北中山村誌)。大正11年に農地の共同経営を目的とし,地主・小作13戸が共同耕地4町6反1畝をもって磯部農業改善実行組合が設立された。学制布達以来,中戸口におかれた柔順小学校の校区であったが,明治43年化致・南越・中山・柔順の4尋常小学校が合併して北中山尋常小学校が当地南部に設立された。同45年高等科が併設され北中山尋常高等小学校となった。さらに,大正15年青年訓練所,昭和10年北中山青年学校,同19年河和田・片上・北中山の青年学校を合併して北部青年学校,同22年北中山中学校,同23年には北中山公民館・北中山幼稚園が併設された。昭和21年頃から副業として鼻緒製造が行われるようになり栃木県・群馬県に販売された。同30年鯖江市磯部町となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7329306
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ