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- 今在家町(近世)とは
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今在家町(近世) 江戸期の府内城下の町名大友氏時代の今在家を移転させたという町組府内町を構成する30町のうちの1つ府内庄屋支配に属す府内城の西部にあり,府内町の西端に位置する北は堀川町,南は寺町,東は田町,西は外堀,後世の本光寺裏に接する貞享元年の「万覚」によれば,当町の東頬51間・西頬55間・道幅3間,東西の入り15間,寺町との間の道幅2間明治8年まで府内町,同22年まで大分町に所属同年以降大分町大字大分の字名・通称地名として存続昭和20年7月16日夜および8月10日の空襲により焼土となる昭和38年6月1日の新住居表示直前まで字名は残っているが通称地名は紺屋町に含まれている表示後大分市都町3丁目の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」