ケータイ辞書JLogosロゴ 岩本村(中世)


福井県>今立町

 戦国期に見える村名。越前国今南東郡のうち。長享元年の大滝寺寺庫収納田数帳では,大滝寺領の名請人で「岩本」の肩書を持つ者として実阿・孫三郎衛門・円阿弥が見え,また,大永年間の大滝寺寺庫収納田数帳にも岩本三郎左衛門・岩本妙道・岩本山岸掃部・岩本見世屋が見える(大滝神社文書)。天文19年の大滝寺修正月会には岩本村が樽1つを負担している(同前)。当村には永仁2年この地に移ったと伝える時宗成願寺があり,前記の岩本村名請人のうちに阿弥号を称する者が見られるのはこれと関連すると考えられる。室町期の「下草」には「越前国岩本の道場」と見える(続群17下)。成願寺に対しては,天正7年5月29日にこの地を支配した佐々成政が竹木や庭石を採ることを禁じている(成願寺文書)。隣村の大滝村掃部は,天正9年正月16日佐々成政に願い出て奉書紙商売の独占権を与えられ(三田村士郎家文書),同年2月には不老【おいず】村と「いわもと村」にその旨が通知されており(大滝神社文書),当村でも紙の生産や販売が行われていたと考えられる。前記大永年間の大滝寺寺庫収納田数帳には「野部分新衛門」「野部藤三郎」が見えるが,この野部(野辺)氏は岩本村を本拠としており,天正13年閏8月14日に羽柴秀吉より「越前国中蝋燭司」に任じられ,蝋草を独占的に買い付ける権限を認められていた(内田吉左衛門家文書)。文禄年間〜慶長初年に蝋草生産者が岩本へ蝋草を売らなかった時,青木一矩は在々所々の蝋草生産者に出頭を命じている(同前)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7329548
最終更新日:2009-03-01




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